話しの置き場

話したことの覚え書き

優しく穏やかな自分を育てる

誰に対しても優しくあり、自分自身もいつでも穏やかな心持ちでいたいと思うものです。

ときどきこの人は怒ることがあるのだろうかと思うような人がいます。しかし、誰しもイライラしたり、怒りが湧いてくることはあるものです。穏やかな優しさを持つ人は、その怒りの収め方を知っているからです。

 

怒りが湧いてきた時、自分自身のその気持ちに気がついているでしょうか。中には、瞬間湯沸かし器のように、唐突に怒りが頂点に達して止められない人もいます。ただ、よくよく考えてみれば誰でも怒りの感情が生まれた瞬間は我を忘れます。しかし、それは言葉を口にする間も、手を出す間もない一瞬のこと、その次の瞬間には我を思い出します。そのまま怒りをぶつける人は、そう意識することはなくとも自分自身でアクセルを全開にして、怒りをぶつけているのです。

怒りをコントロールしたいのであれば、まず自分の怒りを知ることです。皆さんは自分の怒りの原点を考えてみたことはありますか。何に怒り、何が許せないのか、なぜその言葉が許容できないくて、その行動が認めらない理由はどこにあるのか。自分の気持ちは考えるまでもなく分かるようで、誰しも掴み切れていないものです。怒りは心の底から湧き出る感情です。怒ってなお冷静に見つめ分析すれば心の奥底が観えてきます。

 

そして、自分の心同様に相手を観察してみるのです。他人の心はいきなりには見えてきません。まずは相手の人物を認めることです。どんな性格、人柄であり、どんな活動、仕事をしており、どんな生活をしており、どんな趣味趣向があり、どんな癖があるのか見定めて、相手は自分とは異なるひとりの人であることを認めることです。そこで初めて相手の言葉を冷静に聞くことができるようになります。相手の人となりを踏まえればこそ、その言葉に含まれた意図や真意が理解できます。意図や真意が分かってようやく、他人の心は観えてくるのです。

 

さて、自分と相手の心がはっきりと観えてこれば、どこが衝突しており、何がすれ違っているかも分かってきます。怒っている時、他人を絶対に受け入れられない、認められない、何があっても聞き入れられないと思っています。しかし、解決の糸口が絶対にないということはありません。論点が明確に分かれば、問題の解決に向けて考えられるものです。

ここまで進めば最早、感情をぶつけるものでもなく、向けられた感情に振り回されるものでもなくなります。

ここから先は相手を導くこととなります。気持ちを吐き出させ、心を見せてもらうのです。論点と課題を明確に把握して、相手の気持ちを解決に向けた道に乗せてあげるのです。

 

課題解決の為には、多くの知識を備え、多くの方法を吟味せねばなりません。自分の頭の中から出てくるものだけでは十分ではありません。相手の話しを聞くだけでも足りないものです。その他の外へも解決の方法を求めるのも、お互の納得できる答えにたどり着く為に必要です。

それはそのまま誰かに相談して答えをもらうということばかりではなく、常日頃から広く見識を集めることです。直接関係のあることでなくとも、物事の捉え方や発想、立場の違いによる判断の変化を学ぶのです。それは結果や耳に入る言葉をそのまま受け取る表面的なことではありません。その奥で動く人の心や考え方に視点を置くことです。

 

さすれば次第に心は広くなります。心が広いとは受け止める器が広いのではありません。広い見識と深い思考があるからこそ、どんなことも受け止め解決する手立てを見通せる大きな世界がある。それが、広い心なのです。