話しの置き場

話したことの覚え書き

坐禅会のお話し 人生の仕事

 

「年を取ったで私はもう」と言う方がいます。

今から新しいことはできない。もうこれからの事はもっと若い人に任せるよ。自分にできることはないよ。という気持ちが込められた言葉です。

 

年を取ると人はもう変わらない。そう思う人が多くいます。新しいことはもちろんしない。後はもう、いままでやってきたのと同じように過ごしていくだけと考えておられるようです。

 

しかし、60や70の年になったからといって、人が変わらなくなるということこそありません。80になってポクポクという木魚の音やお経を聞くと気持ちが落ち着くようになったという方がいます。90になって外に出れなくなっても、嫁さんが作るご飯が美味しくてそれが毎日の楽しみで、毎日ありがとうといって暮らすことが幸せだと話してくれる方もいます。

 

よく人が亡くなった時に無常だということがあります。仏教の教えの無常とは、何も人が亡くなることを言うのではありません。時の変化に伴い、肉体だけでなく、心や精神も変化していくのです。

 

体を鍛える為に日々の鍛錬が欠かせないように、急に心が成長することもありません。日々経験し、考え、苦悩したり、喜んだり、時には怒ったり、楽しんだりしながらその積み重ねで鍛えられていきます。

 

もし皆さんがもう十分いろんな事をやってきたと思うのであれば、すでに沢山の人生経験という材料があることでしょう。そして、考えることは調理をするようなもので、素晴らしい料理を作るように、素晴らしい心を磨いていくのです。「そういうものだ」と思えばそれまでで、どんな経験をしていようとも、深く考えることなしには、心は成長してはいきません。

 

きっと考える時間も今から沢山あるでしょう。今すぐに、過去を振り返って自分の生き方とは何かと答えを出さなくてもいいのです。これから1年じっくり考え、或いは10年20年かけて考え続ければ良いのです。肉体は衰えようとも、心は鍛え続けられます。

 

生き方とは、困難な壁を乗り越える方法です。仕事であれ、普段の私生活であれ、落ち込んだり、挫けそうになったとき、悩んでいるとき、立ち直り乗り越える方法が生き方、生きる方法です。

 

そう簡単には、見つかりません。何十年と重ねた経験と、考え抜いた時間があるからこそ皆さんが知っていることです。それをもし、子や孫、若い20代10代、年端もいかない子供たちに教えて上げれば、その子の人生のどれほどの助けになるでしょうか。

 

若い子、子供達は素直です。何でも人の姿を見て育ってゆきます。ただし、きちんと姿で見せて、しっかりと教えて上げなければ学んではくれません。

 

今この年になった自分ができることは、更に更に心を磨いて、その生き方を周りに伝えることです。それが、本当に人の助けになり、いつまでも残っていくものなのです。

 

誰しもがそれぞれ異なる人生を歩んでおり、誰しも一芸一徳が備わっているものです。

 

人はいろんな人と関わり影響を受け、また影響を与えながら日々過ごしています。家族は一番小さな社会であり、礼や道徳は多くを身近な地域社会の中で身に付けるてゆきます。何も子や孫だけとはいわず、言葉を交わし、出会い姿を見た全ての人に、それぞれの生き方を伝えていってほしいと思います。