話しの置き場

話したことの覚え書き

初盆に臨むお話し

初盆


子供の頃、毎年の様に茄子の牛と胡瓜の馬の話しを迎え火を焚きながら聞かされました。
その言い伝えの通り、私たちのご先祖様が帰ってくるのがお盆の期間です。
棚経に回ってお経を挙げて、このお位牌のご先祖様に供養します。それと同時に、それより前の名前も知らないご先祖様、それから自分とは全く関係ないもしかしたらその辺りにいるかもしれない霊も一緒に供養するのがお盆のお経です。
関係ある無しに関わらず、あらゆる霊を助けるそんなお盆の行事に込められている教えは、一人一人の人を大切にする優しさです。

私たちは頭の中でも、言葉で考えます。
他人に言葉を掛けたり接するのと同じように、頭の中で自分に言葉を掛けたり、自分のことを考えます。
人に優しくする人は、自分にも優しくできるものです。
人を思うことができる人は、自分を大切に思うものです。

この前、祖父の三回忌の法事に行ってきました。

祖父は優しい人柄を頼りにものを頼まれることがあったという話しを聞いてそうだったんだなと知ることがありました。
修行道場は厳しい所でした。昔は時代でもっと激しく厳しいものだったといいます。ですが、その中にあって尚、父は激しく怒ったりしない優しい人だったと後輩だった和尚さんから聞くことがありました。
祖母が村の人たちと誰とでも楽しく話していたなと思います。
何気ないことですが母が落とし物を拾って声を掛ける姿を今でも覚えています。
祖父母や父、母が大切にしていたのは人に優しく接するということだったのだと、そんな記憶を思い起こし感じました。
私もまた、人に優しく接して、強く当たるようなことのないようにと、そんなことを大切に生きようと思います。

誰にでも大切にしていることはあるもので、意外とそれは当たり前のことであったりします。その当たり前を大切なことだと意識したときに誇りとなります。誇りは自信となり、自信は行動力へと繋がります。

私は祖父母、親を誇りに思いますし、お寺に生まれたことを誇りに思います。自分が育った市や村、地元を、今生きているこの場所を、僧侶であることを誇りに思います。四季の変化を感じたり、人の気持ちを思うことができる、繊細な感覚を持つ日本人であることを誇りに思います。

誇りに思うことが沢山あればこそ、今こうして自信をもって話しをすることができていると私自身も思っています。


初盆ではまだ記憶に新しい故人のことを強く思い出すことと思います。心に思い起こす、それが私たちの心に帰って来ているということです。
故人が帰ってくるお盆という行事、その時間を楽しんでいただきたいと思います。
そして、記憶の中から故人の大切にしていた誇りを見つけてください。それは皆さん自身がよく知っていることのはずです。心の中ではっきりと思い浮かぶ姿、その姿が皆さんが誇りに思う故人の姿であります。そして、同時に、自分自身の誇りを確かめる場としていただきたいと思います。

それは過去から今へと繋がるというだけでなく、未来へも繋がっていくことです。
お経が終われば皆さんはまた普段の生活に戻っていきます。その時に誇りを持って生きることは、姿に表れ、それが周りへと伝わって行きます。私たちの日本人の精神性はそうしてずっと昔から伝わって来ています。

過去を未来へと繋げることも、今現在を生きる私たちの役目でもあります。

お経の間は、故人、ご先祖様を祈るとともに、

沢山の故人の事を思い出してあげてください。